福井市観光 歴史編
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朝食は『ドーミーイン』おなじみの朝食バイキングを楽しみました。
福井県ご当地の朝食は、越前おろし蕎麦が提供されているので、しっかりと頂きました。
足羽川の桜並木
朝食の後、ホテルの近くを散歩してみましょう。
福井市街地の堤防に並ぶ桜並木は、『日本一の桜並木』と言われ『さくら名所100選』にも選ばれています。
約600本ものソメイヨシノは、一本一本が大木で見応え十分なスケールです。
それでは、一旦ホテルに戻ってチェックアウトした後は、福井市内をぶらりと観光していきます。
まずは、福井城址を目指しましょう。
北の庄城址・柴田公園
福井城址へ向かう途中に、北の庄城址・柴田公園があるので、ちょっと寄ってみましょう。
福井城の前身となる北ノ庄城は、戦国時代に朝倉氏の支配が終わったあと、一向一揆の平定に功績のあった柴田勝家が治めることになります。
その後、柴田勝家は、賤ヶ岳の合戦で羽柴秀吉に破れた後、北ノ庄城で防備を固めますが、集まった兵数は3000人程度と少なく、寄せての羽柴軍は18000人に押し切られ、遂には落城することになります。
柴田勝家とその妻お市(織田信長の妹)は、北ノ庄城と共に果てる事になりますが、その娘3人の茶々、お初、お江は秀吉に保護されることになります。
茶々は、後に秀吉の側室となり秀頼を生みますが、大阪夏の陣で大阪城と共に落城することになります。
そんな、北ノ庄城の遺構あとにある柴田公園は、大きくはないもののよく整備されていて、柴田勝家やお市の方の像、3姉妹の像もあります。
無料の資料館もあるので、当時の事をよく知ることもできるようです。
福井城址
北ノ庄城落城のあと、丹羽氏、堀氏、青木氏と支配をすることになりますが、その後に関ヶ原の戦いの後、徳川氏の時代になると、徳川家康の次男、結城秀康が治めることになります。
結城秀康によって、新たに築城されることになりますが、後の藩主によって北の庄の『北』の字が、『敗北』にあたり不吉ということで、『福居』に改名され、さらに『福井』に改名されたと言われているようです。
江戸時代に入ると平穏な時代が過ぎていきますが、江戸末期になるとまた活躍する人物が出てきます。
松平春嶽(まつだいらしゅんがく)
松平春嶽といえば、坂本龍馬の支援者であった事が有名ですが、その他にいろいろな実績があったようです。
横井小楠や由利公正などと生糸の生産などで、藩の財政の立て直したりと活躍した人物です。
まだまだ、功績はいろいろとありますが、明治維新が成功するためには、なくてはならない人物だったのは間違いありません。
今回は、観光というよりも歴史解説が多くなってしまいましたね。
申し訳有りません。
次回、まだまだ福井市内の観光が続きます。