脳内 日本一周 初日 ♯4
角島
念願の角島。海を渡る道路を走る前に、まずは絶景のポイントに登っていこう。そのポイントへは大橋に行く手前を右に登っていく。
今日は早春には珍しい雲一つない晴天だ。展望台からの眺望は、沖縄の海を思い起こさせるエメラルドの海の中に真っ直ぐと伸びる、角島大橋はまさに絶景だ。しばらく眺望を楽しんでいると、たくさんのライダーたちもやってきた。
少し年輩のおじさんがハーレーの重低音サウンドを響かせている。20台近くのバイクが角島大橋を、一筋の流星の様に隊列を組んで橋を渡っている。
さあ、僕も相棒と一緒に、海の中へ続く橋を渡っていこう。
角島大橋を渡っていくと、まさに沖縄の伊良部大橋を思い起こさせるようなローケーション。全長約1,800mの橋を渡って、島に入ると最初に目指すのは角島灯台。
その袂近くの堤防は、映画「HERO」のロケ地にもなった、夕日が綺麗なスポットだ。
残念ながら、まだ昼前の時間帯で夕日の時間まで、ここに滞在するわけにもいかない。
次のスポットに向かっていこう。角島から帰り渡る橋からの風景が、高い地点から橋を渡っていくので、橋の美しさは際立って見える。もちろん、橋の上に相棒を駐車することはできないので、車内からの動画を撮影して行こう。
元乃隅神社
角島から次の観光地へ向かう。のんびりできる旅ではあるが、現役時代の癖か時間を、のんびり使うことに慣れていない。銀行員の頃は、きちんとスケジュールを立てて、時間通りに行動。予定の5分前には到着しておくという生活を30年以上続けてきたのだ。なかな、癖が抜けないのはしょうがない。
JR山陰本線と並行して走る国道191号線を萩方面へ向かっていく。
1時間ほどの相棒とのドライブで、元乃隅神社へ到着した。
元乃隅神社を有名にしたのは、123基の赤い鳥居が断崖の海へ向かって並んだ風景が、情緒的な印象的でInstagramで有名になったスポットだ。アメリカのテレビ局も取材に訪れるなど、世界的にも有名なスポットになっている。
周りの観光客も、一様にスマホを構え、赤く続く鳥居の風景を写真に撮っている。確かにこれは絵になる。世界に向けてInstagramにアップしよう。きっと、たくさんの「いいね」を貰える事だろう。
近くの珍しい自然現象の「竜宮の潮吹き」は、なかなか見ることできないので、しばらく待ってみたが、この波が穏やかな晴天では見ることは出来ないだろう。朝食で食べたお寿司のエネルギーもそろそろ消費されてきたようだ。次の目的地でお昼にするとしよう。
※このブログは全て妄想です。というか願望を込めて実際にできればいいと思って妄想しています。全てフィクションですのでご容赦ください。
脳内 日本一周 初日 ♯3
唐戸市場
開通から50年ほど経った関門橋を渡って、すぐに下関インターチェンジを降りる。
インターチェンジを降りて県道57号線を南下して、約10分ほど相棒を走らせるとすぐに唐戸市場に到着だ。朝早い時間だが、流石に祝日の唐戸市場の駐車場は、自走式の立体駐車場の3階まで車が停まっている。
市場まで降りていくと、多くの観光客がお目当ての海鮮丼やバイキング風のお寿司を手に取っている。
市場内の店舗を見て回っていると、カニ汁やフグ汁を販売している店舗もある。
さて、日本一周の最初の食事をしよう。まずはお寿司を探していく。いくつかの店舗で、マグロ、ノドグロ、フグ、イカ、ウニ、そしてクジラの寿司を買った。もちろんカニ汁も購入済みだ。朝食としては少し贅沢だが、1000円程度でこれだけのお寿司を買えるのは格安だ。
容器に入れてもらった、寿司とカニ汁を持って、関門海峡側のベンチに座ってゆっくりと味わっていく。
流石に鮮度抜群のお寿司は美味以外の評価はない。特にクジラは、捕鯨基地で馴染みのある下関だけあって、赤身の鯨に生姜のすりおろしを少しのせたお寿司の味は格別だ。カニ汁も大ぶりなカニの爪が入っていて、アツアツな味噌汁もおいしく頂いた。
唐戸市場の周辺には水族館「海響館」やコーヒーショップもあるが、さすがにまだ時間早い。この唐戸市場の目的は朝食だしそろそろ出発する。水族館などを楽しむのは、帰ってきた時だ。
相棒の運転席に戻り、駐車場を出ていく。
さて、次の目的地は、山口県の日本海側にある、Instagramでも白い砂浜と青い海の中を貫く橋で有名な角島だ。
そう、僕の日本一周計画は、日本海側を北上して北海道まで行き、北海道を一周して太平洋側を南下して日本をぐるっと一周する計画だ。いろんな離島にも行ってみたいが、全てを回るわけにはいかない。可能な限りのペースで回っていこう。
唐戸市場の駐車場を出て、国道191号線を走っていく。運転席から左側に見える関門海峡。その関門海峡に浮かぶ巌流島を見ながら、相棒はのんびりと走っていく。
しばらく海岸線を走るルートになる。白い砂浜と岩場が交互に海岸線、早春の日本海は強い風が吹き付けているが、太陽浴びる海原はキラキラと光っている。
白い砂浜は、子供が小さい頃に行った、土井ヶ浜だ。子供にとっては少し深くなる海水浴場だが、その風景と白い砂浜に透き通った海の水は、九州の若者たちも多くが訪れる場所だった。
唐戸市場を出て、約1時間ちょっとで、目的地の角島の展望台まで到着した。
脳内 日本一周 初日 ♯2
いざ出発地点へ
自宅から一番近いインターチェンジへ向かう。あたりはまだまだ暗い。車のヘッドライトに映し出されている路面は、昨夜の雨でキラキラとを光っている。
今日の起床は午前4時。身支度を整えて出発したわけだが、朝食はまだ食べていない。まずは高速道路に乗る前に少しばかりお腹に何か入れよう。最初のセブンイレブンに車を停めて、温かいコーヒーを飲んだ。出発してすぐのコーヒーブレイクだが、朝食の代わりと割り切って少しばかりの休憩をとった。
コーヒーだけしかお腹に入れていないが、出発地点へ向かっていこう。
自宅を出発して30分、インターチェンジに到着して、高速道路に入っていく。
相棒のペダルを少し踏み込んで、スピードを上げていく。相棒は少し踏み込みですぐに反応してくれる。一気に100km /hまで加速して走行車線へ合流する。祝日の朝早い時間だから高速道路を走っている車もまばらだ。
高速道路に入ってしまえば、あとは目的地までの道のりを相棒に任せる事ができる。最近の車は自動運転とまではいかないまでも、ハンドルさえ握っていれば、ほぼ自動運転が可能だ。走行スピードを100km /hにセットしてボタンを押せば、前方の車を追尾したり、車線の幅を把握して走行車線を維持してくれたりと、至れり尽くせりの状態だ。あと10年もすれば、自動運転のクルマもお手軽な金額で買える時代になるだろう。
高速道路を約1時間ほど走って出発地点へ向かう訳だが、相棒のシートは上品な座り心地ということもあり、そんなに疲れを感じることもない。のんびりと走っていこう。
福岡ICを過ぎたあたりで、日の出の時間を迎え、相棒の右手から暖かい春の日差しを浴びる。左手には、高速道路と並行に走る新幹線が、相棒を悠々と追い抜いていく。時間的に考えると博多発の東京行きの『のぞみ4号』だろうか・・・
新幹線から追い抜かれるとすぐに長いトンネルに入る。折角、明るくなった周りがトンネルのオレンジ色の世界に引き込まれていく。
朝早い、一人だけの車内では、ラジオが朝のニュースを伝えている。このトンネルはかなり距離がある事もあって、ラジオの電波も中継してくれる仕組みのようで、中で途切れることはない。天気予報も晴天を告げている。
しばらく、相棒に揺られているとようやく、出発地点だ。左にウィンカーを出し、出発地点のパーキングエリアに到着した。
出発の地
本州と九州をつなぐ、関門橋の袂にある、めかりPAが出発地点だ。めかりPAは、和布刈公園の一角にあり、パーキングから階段を降りていくと下に走る国道へも歩いて降りることができる。
めかりPAは、関門海峡の九州側のパーキングエリアだが、源平合戦の最後の戦場となった壇ノ浦を望むことができる。また、8月のお盆の時期に開催される、関門海峡花火大会では、花火を見るのに一番いいスポットだ。僕も若い頃、相方さんとこのパーキングで花火を見た思い出の場所だ。そんな思い出の場所でもあり、日本一周の起点にするには都合の良さもあり、この、「めかりPA」を出発地点としたわけだ。
思い出の場所で、関門橋の写真を撮って、さぁ〜出発だ!
まずは、最初の予定地で朝ごはんを食べよう。予定地までは関門橋を越えて、高速道路を降りて下関の街に入って行けばすぐそこだ。そう、フグの取引で有名な唐戸市場だ。
日本一周 最初の食事は、唐戸市場で寿司から始めよう。予定通りに。
※このブログは全て妄想です。というか願望を込めて実際にできればいいと思って妄想しています。全てフィクションですのでご容赦ください。
脳内 日本一周 初日
出発の日
2024年3月20日(水曜日)今日は、春分の日だ。今日から昼の時間がだんだん長くなり、今まで着ていたコートもダウンジャケットから、薄手のスプリングコートへ衣替えも進んできた。
外には、ウグイスの囀りが聞こえる様になり、テレビでは可愛さらしい大学生のお天気お姉さんが桜の開花が今週末頃だと告げていた。
しかし、僕にとっては待ちに待った、日本一周の出発の日だ。元々、飛行機や新幹線に乗って旅をする事が好きだった僕だが、日本一周を目指したのは、YouTubeで若者たちが軽バンやバイクでの日本一周にチャレンジしているのを見てからだった。
もちろん、そんな憧れだけで、今までのキャリアや仕事も辞めて、「思い立ったが吉日」よろしく、日本一周にチャレンジすることも出来ず、2年ほど経ってしまった。子供たちが大学を出て、無事に就職するまでは、どんなに嫌な仕事をしてでも、育て上げる事が最優先だった。ようやく、一番下の三男坊も就職が決まり、この4月から新社会人だ。予定より1年遅れになってしまった卒業だが、親の役目を果たすことができたと思う。
先週末から荷造りを始めて、ようやく車への積載が終わったのは昨日だった。荷物は一人分なのだが、日本一周をする為の準備は大変だ。しかも車中泊やキャンプを前提とした宿泊予定なので、テントや寝袋などを入れると相当な荷物になる。退職金などで軍資金はあるものの、これからの人生を考えるとそうそう使えるものではなく、貧乏旅は決定している。しかし、こんな冒険をできるのは人生で一度きりだ。思いっきり楽しんで後悔のない旅にしたい。もちろん、旅の思い出もしっかり記録してYouTubeに動画投稿できるくらいの記録は残しておきたいものだ。その為の機材も数年前から準備している。ミラーレス一眼レフカメラに、お気に入りのレンズ。トラベル三脚も軽量でコンパクトにまとまるものを手に入れた。
旅の相棒になる、車のガソリンも満タンだ。最近では電気を動力にするEVカーが主力になってきているが、やはり旅に使う気にはなれない。電気を充電するのに時間もかかるし、街中ならまだしも、山の中で充電ポイントを探すのも不安になる。ハイブリッドカーが燃費や効率を考えると最も安心できる選択だった。
まだ、太陽は顔を出していない朝の5時。早春の朝の空気は、放射冷却現象で寒さもあるが、僕の心は旅に出る高揚感で寒さを感じていない。
家族の見送りは家内だけだ。家内は実家の母の介護などもあり、そうそう旅に出るわけにもいかず、黒部ダムや北海道など自分が行きたいポイントだけ飛行機で合流する、ハイブリッド旅行になる。
車に乗り込み、車のスタートボタンを押す。昔の車だとイグニッションキーを回して、重低音の響くエンジン音するわけだが、最近のハイブリッドカーはエンジンが回り、エンジン音唸らせることはない。車のフロントガラスの夜露をワイパーで弾き、走行動画を撮影するためのGoProをセットした。
さて、いよいよ出発だ。家内が見送ってくれるが、仕事に送り出している程度の雰囲気だ。でも、テンション上げて出発だ!
家から出発したものの、旅の出発地点はまだ先だ。僕が旅の出発点と選んだのは家から100km以上離れた地点だ。そこを旅の出発地点として日本一周に挑む。まずは出発地点まで走っていこう。
※このブログは全て妄想です。というか願望を込めて実際にできればいいと思って妄想しています。全てフィクションですのでご容赦ください。
老い
老いは急激に
私の日曜日は、家から単身赴任先の独身寮に帰るところから始まる。
毎週、お昼ご飯を食べて、家を出発するのがローテーションだ。
いつも、相方さんに駅まで送って貰って帰る訳だが、今日は、相方さんのお母さんが退院して戻って来られていることもあり、相方さんの実家に挨拶して帰ることになっていた。
相方さんのお母さん、世間で言う義母にあたる訳だが、前回、会ったのは今年のお正月に米寿のお祝いをした時だった。
その時は、普通に会話もでき、歩くのも普通に歩いて、階段を登って2階にある店で食事をしたり出来ていた。
ところが、今日、お会いしたお義母さんは、実家の居間で真っ暗にしたままで座り込んで、どこを見ているのか分からない状態で、焦点が合っているのかも分からない状態だった。
2月くらいだったか、足が痛いと言うことで相方さんに連絡が入り、病院に連れて行って、自宅で日常生活が出来ない状態だったのでそのまま入院。検査やリハビリをしていくうちに、携帯電話にも出られない状態になり、認知症と思われる症状が出るようになってきた。
相方さんとお義兄さんが相談して、病院にいるより自宅に帰した方がいいという事になって、自宅を片付けたり介護の準備をしたりとすすめていき、ようやく退院できた訳だが、久しぶりに会ったお義母さんの変わり様に言葉を無くした。
相方さんやお義兄さんがいる中で、できるだけ会話をしてあげようと、言葉をかけていたが、以前どおりの反応が返ってこず、声の張りも無い。手の震えや様子を見ているとたった3ヶ月くらいでこれまで老いが進むのかと愕然とした。
いろいろと人によって、症状や様子は違うのだろうけど、老いというものをつくづく考えさせられた。
自分でもショックを受けたお義母さんの老いた様子だが、実の娘である相方さんが受けたショックは計り知れないだろう。
お義兄さんも「介護の現実を突きつけらた。」「ある日心が折れると言うのがわかる。」との言葉が重い。
自分にできることはあまり無いだろうが、相方さんの心をサポートすることを忘れない為にも、ここに綴っておきたい。
復活した熊本のシンボル
熊本大地震
2016年4月14日午後9時26分に発生した震度7の地震。その28時間後の4月16日午前1時25分に発生した震度7の地震。この熊本大地震で熊本の街はもちろん、熊本のシンボルでもある熊本城も大きな被害を受けました。
震災から約6年が過ぎ、そんな熊本城も全国からの支援を受けて、復興が進んでいます。
復興
2021年に天守閣の復旧が完了して、特別公開が始まっていましたが、コロナ禍の規制などで中々見に行く事ができなかったけど、ようやく桜の季節に見に行く事が出来ました。
公開されている熊本城の天守閣は、一つの博物館のような資料が展示されていて、城の建築法、熊本の歴史や街の区割りなどを学びながら、見て回る事が出来ます。もちろん、最上階からは熊本の町を一望できます。体の不自由な方でも登れるようにエレベーターもあり、誰でも楽しむことが出来ます。天守閣の資料を見ているだけで、およそ1時間程度は楽しむことが出来ます。
熊本城
展示されている資料などを楽しむのもいいと思いますが、熊本城の魅力は、その天守閣や石垣などの建築物が、とても勇壮的であったり優雅さが魅力です。また、城を守る為の「武者返し」や「忍び返し」と言われる実用的なギミックが魅力の一つとなっています。
また、櫓やそこまでの通路の配置なども、よくよく見るといろんな知恵が盛り込まれています。見れば見る程、知れば知る程、楽しめる場所だと思います。
まだまだ、完全な復興には遠い道のりですが、多くの支援も必要だと思います。コロナの影響もあるとは思いますが、特別公開を見に行ったり知ることで、復興の支援にもなると思いますので、熊本城を訪れてみてはいかがでしょうか。
素直になれなくて
50歳過ぎのおじさんが言う台詞じゃないですね・・・「素直になれなくて」
もちろん、こんな恥ずかしいセリフを人前で言ったわけじゃないんですけどね〜
いつも「素直に言えばよかったのに…」「素直に感情に出せばよかったのに…」と、後悔しているだけです。
なかなか、素直に言ったり、素直に感情を表現する事って難しいですよね。というか、出来た事がない。
なぜ、こんな話しをしたかと言うと、今日、春の定例の移動によって、今の職場の最終日だったのです。当然、最後に挨拶をする訳なんですけど、今の職場は5年近く働いていて、みんないい人ばかり。不慣れだった自分に優しく仕事教えて貰ったりとか、後輩たちもすごくいい子たちばかりで、ずっと一緒に働いていたい職場でした。
朝から、挨拶の言葉を考えていると、少し感傷的になってしたりしていたので、そんな雰囲気を悟られないように、日中はおちゃらけ気味に、みんなと話しをしていました。
周りの人も、色々と話しかけてくれたり、転勤先の知り合いに連絡してくれたりと、本当に涙が溢れそうな事をしてくれます。
そんなこんなで、夕方になり挨拶をする時間がやってきます。
上司から、簡単に紹介して貰って、いざ挨拶をしようとすると、やっぱり、感情が込み上げてきて、うまく言葉が出て来なくなってきたので、これはマズいと思って、日頃の感謝を思って準備していた挨拶を全て捨て去り、お茶らけバージョンの軽い挨拶をしてしまった。(後悔)😩
素直に感謝や、この職場が好きだとか、素直にここの仲間と仕事を続けたい。素直な気持ちでありがとうと伝える事が出来ません。
感情を素直に伝える事に恥ずかしさが先にたち、笑いに逃げてしまう・・・
いくつなったら、素直になれるんでしょうね。それとも歳をとると素直になれなくなる・・・どうなんでしょうね。
今、このブログを書きながら聞いている曲は、ビリージョエルの「素顔のままで」です。中学生の頃、ビリージョエルが大好きで。いつも聞いていました。
グーグル先生に、「素直になれなくて ビリージョエル」で検索したら、当然のように「素顔のままで」が出てきました。ここも笑いで逃げるか!😆